奢りがいのなさ
「人に奢る」ということをある程度やる様になると、「奢りがいがある」「奢りがいがない」と感じ時がある。
シンプルに言えば、奢ってもらって一言もお礼がないと、奢りがいがない。別にお礼を言われたくてやってることじゃないけれど、やっぱり人間なので憮然とした気持ちになる。
※ここでは「奢りという行為を無理やり押し付けた」と言うパターンは一旦忘れて欲しい。
あとは、食べた時に「美味しい」とかそういう反応が一切ない場合。奢る場合というのは、自分が知っているが相手が知らない店に連れて行くという時が多いと思うので、「ちゃんとしたお店を紹介をできるだろうか」とそれなりにリスクを取っている、と自分は思う。お店を紹介した側は常に不安がつきまとうものだ。そこで何の反応もないとやや辛い気持ちになる。これは食事を作って振る舞った場合と同じかもしれない。
上記の場合もやはり「奢りがいがないな」と感じてしまう。
で、奢りがいがない人を攻撃したい気持ちがあるわけじゃないけれど、どうせお金を使うならお互い幸せな気持ちになりたいと思う。
というか、奢りがいがある人に奢るのは楽しい。ぶっちゃけ、また奢ってもいいかと思ってしまう。
しかし我が身を振り返ると、心では感謝をしていても、お礼を言うのを意外と忘れてしまう場合もある。支払いやお店を出るバタバタで案外と機会を逃すということも多いものだ。奢られるならば少しはそこに意識を持って気をつけないといけないなと思う。
なんか今日は愚痴っぽくなってしまった。適当に書き始めてみたが、あまり「適当な」話題ではなかったな。